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2003年12月16日 (火)

歌舞伎四百年 十二月大歌舞伎 夜の部

2003年12月16日(火) 歌舞伎座

新之助がようやく歌舞伎座に戻ってきた! 一年の締めくくりに、松竹も粋なことをしてくれるじゃないか。

『絵本太功記 −尼ケ崎閑居の場−』

武智十兵衛光秀:市川團十郎
武智一子 十次郎光義:中村勘九郎
嫁 初菊:中村福助
佐藤虎之助正清:市川新之助
真芝久吉:中村橋之助
光秀母 皐月:中村東蔵
光秀妻 操:中村芝翫

明智(武智)光秀が織田信長(小田春永)の不興を買うところから、本能寺の変を経て、光秀の最期までを十三段の物語で描いた義太夫狂言。《尼ケ崎》は十段目に当り、歌舞伎の典型的な役柄が勢揃いするうえ、時代物の様式美にも富んだ舞台になっているので、単独で上演されることも多い。

これはもう、皐月の東蔵に尽きる。初役らしいが、そんなことは微塵も感じさせない出来。孫の十次郎を戦場へ送り出さねばならない悲哀、一夜の宿を乞うてきた僧が真芝久吉と知って身代わりに立つ覚悟、光秀の竹槍に倒れた後の述懐など、どれも的確。セリフも明瞭で、絃に乗った動きも巧い。

操の芝翫も素晴らしく、見せ場のクドキに真情が溢れ出る。あぁ、日本人に生まれてよかったよ(笑)。
それに比べて、光秀の團十郎は見事なまでに絃に乗れていない(泣)。確かに、豪快さはあるンだけどね、それだけじゃね。

十次郎の勘九郎、前髪を垂らした若衆姿は風情も色気も足りない気がするが、後半、手負いとなって戻ってきて、戦場の様子を仕方話で語るあたりは巧い。
橋之助の久吉は光秀に完全に負けている。
正清の新之助が勇壮。出番は一瞬ながら、鮮烈な印象を残す。

そして、福助にこういう役は似合わなくなってしまったことを改めて実感する……。

『素襖落』

太郎冠者:中村橋之助
姫御寮:中村扇雀
次郎冠者:市川亀治郎
三郎吾:尾上松也
太刀持 鈍太郎:坂東弥十郎
大名某:市川左團次

同名の狂言を、義太夫、長唄掛け合いの歌舞伎舞踊にした作品。しっかし、こんなに笑えないのは初めてだよ。

橋之助の太郎冠者は初役。前半は狂言舞踊らしく品格を保ちながらとんとんと進むが、見せ場である《那須の語り》がよくない。踊りが固く、酔態も一本調子で面白味に欠ける。関係ないけど、顎を突き出した表情をすると芝翫ソックリになるのね。

次郎冠者の亀治郎、最初は妙に鯱張っているような。この役にはきびきびとした感じが必要だが、あまり固すぎるのもどうかと思うので、そのあたりのバランスを考えて欲しい。踊り始めると、ふうわりと軽くなっていい。

『狐狸狐狸ばなし』

手拭い屋 伊之助:中村勘九郎
法印 重善:市川新之助
寺男 甚平:市村家橘
物持ちの娘 おそめ:片岡亀蔵
博奕打ち 福造:片岡市蔵
雇人 又市:坂東弥十郎
伊之助女房 おきわ:中村福助

今は手拭染屋をしている元女方の役者・伊之助、酒飲みで怠け者で浮気な女房のおきわ(福助お得意の“あばずれ”ですな)、浮気相手の破戒坊主・重善、頭の弱い雇人・又市らによる二転三転する色と欲との騙し合いを怪談仕立てで見せていく物語。喜劇ならではのアドリブも随所に入る。

さすがに、この手の芝居をやらせたら勘九郎や福助は巧い。弥十郎なら、又市の頭の弱い感じをもっと巧く出せるンじゃないの? と、思いながら観ていると……なるほど、あれは“馬鹿のふり”だったわけか。

新之助はやや表面的ではあるものの、意外と健闘。お笑いのセンスも充分ある。身体の使い方(飛び上がったり、倒れたり)はイマイチか? とも思ったが、花道を逃げる姿は大いに笑わせてくれた。「どうして俺はこんなにもてるンだろう」と、ひとり悦に浸る場面で、「それはあなたが色男だからよ〜」と、心の中で答えていたのは、きっと私だけじゃない筈(笑)。

ただ、この物語の底には「人を殺してでも……」という悪の衝動が存在しているわけで、そこを感じさせるまでに至らなかったのは、何とも残念。

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