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2004年1月 4日 (日)

新春浅草歌舞伎 第一部

2004年1月4日(日) 浅草公会堂

新春の浅草は花形歌舞伎。思えば、新之助の弁慶もここだった。今年は、市川男女蔵、中村獅童、市川亀治郎、中村勘太郎、中村七之助の5人(年齢順)。浅草寺の雷門前に5人並んだ写真(それも、舞台衣裳と現代のファッションの2ヴァージョン)をチラシに使い、お年玉として日替わりの年始ご挨拶、一部と二部で役代わり出演(当然、役者の家によって演出も違う)など、歌舞伎を観ない客層を呼び込む工夫に余念がない。

とは言っても、結局は舞台がすべてなのだ。すでに30代になっている男女蔵と獅童には、さらなる奮起を促したい(ってゆうか、獅童は別に歌舞伎にこだわらず、映像の世界に生きればいいと思うのだが……)。

『お年玉・年始ご挨拶』

市川亀治郎

あまりにも声が猿之助に似ているのに驚いた。父ではなく叔父。そのあたりに遺伝の不可思議さを感じる。

今回、この挨拶は男女蔵を除く4人が交替で勤める。1部と2部で出演者や演出が違っていることを強調し、両方観ることを勧める亀治郎(他の日を観ていないので、言っていることが同じなのかは不明)。でも、どう違うのか、多少、興味は湧くよな。

ちなみに、4人全部の挨拶を聞くと、この公演のポスターが貰えるそうな。

『三人吉三巴白浪 −大川端庚申塚の場−』

お嬢吉三:中村七之助
お坊吉三:市川男女蔵
和尚吉三:中村獅童

白浪(泥棒)作者の異名がある河竹黙阿弥の作品。好きなンだな、これ。名刀・庚申丸と百両の金をめぐって複雑な因果関係が展開していく、言わば“江戸時代のノワール”。

百両を拾った夜鷹のおとせは、その金を落とし主に届けようと夜道を急ぐが、女装の盗賊・お嬢吉三に金を奪われ、川へ蹴落とされてしまう。

お嬢の「月も朧に白魚の……」で始まる“厄落とし”と言われる名調子のセリフはあまりにも有名(客席で一緒に呟いているお客を見かけたのも1度や2度ではない)。ここで、同じ名を持つ3人の盗賊が義兄弟の契りを結ぶ。

お嬢の七之助。娘の声はいいのだが、本性を現わしてからがいけない。リズミカルな七五調のセリフもまだまだ(ベテランでも難しいからね)。あと、身体が細いせいか、着物の着方がぞろりとし過ぎ。

お坊の男女蔵。駕篭から出てくる時に、「よっこらしょ」って声が聞こえてきそう。もっとすーっと出てこられないものか? ご家人崩れの雰囲気はあまり感じられないが、思っていたよりはいい出来かも。

和尚の獅童。この場面だけの場合、あまり考え過ぎずに演じた方がいいとは思うが、一応、和尚は所化上がりの盗賊で、ふたりの先輩格でもあり、最後にはすべての因果の訳を知り決着をつける、そういう存在だということを多少は感じさせてくれてもいいンじゃないの?

『毛抜』

粂寺弾正:市川男女蔵
腰元巻絹:中村勘太郎
秦秀太郎:市川亀治郎
小野春風:中村七之助
錦の前:市川段之
秦民部:中村獅童
八剣玄蕃:松本錦吾
小野春道:市川門之助

『雷神不動北山桜』という外題で上演された五段の時代物狂言のうち、一部分(三段目)が一幕物として独立、現在の形で残る。同様に『雷神不動北山桜』から分離独立した演目として、『鳴神』(四段目)、『不動』(五段目大切)などがある。

筋書を買わなかったので詳しくはわからないが、一部の男女蔵は市川左團次監修、二部の獅童は市川團十郎監修で上演。それぞれ演出が違うらしい。

錦の前の髪の毛が逆立つ謎を解く名探偵でもあり、本筋とは関係ないところで、若衆と腰元にちょっかいを出して振られてしまったりと、とにかく、粂寺弾正は実に大らかな人物なのだ。豪放磊落、しかも洒脱。情熱や懸命さだけでは演じきれない。

男女蔵は父親にきっちり教えてもらったのだろう。口跡がそっくり(それがいいかどうかは、また別の話で……)。あらかじめ期待値が低かったせいか、意外と健闘していたような(笑)。ただ、見得(弾正はちょっと変わった見得を次々と披露する)が決まらないのは如何なものか?

秀太郎の亀治郎、すっきりした若衆を好演。でも、腰元の方が似合いそうだなぁ。

『義経千本桜 吉野山』

佐藤忠信 実は 源九郎狐:中村勘太郎
早見藤太:中村獅童
静御前:市川亀治郎

『義経千本桜』四段目《道行初音旅》。桜満開の吉野山を背景にしているため《吉野山》とも呼ばれる。

道行とは、相愛の男女が目的地へ旅する途中の叙景やふたりの心情が述べられる舞踊的要素の濃い一場だが、佐藤忠信と静御前の場合、同じ男女でも主従の関係、しかも、忠信は実は狐の化身というあたりに特色がある。
ちなみに、今月の歌舞伎座 寿初春大歌舞伎では二段目の口にあたる《鳥居前》を上演している。

静御前が、義経から形見として預かった“初音の鼓”を打つと、その音に誘われるように忠信が現れる。花道のスッポンからの登場は、その人物が「人間でない」ことを意味している。静を守りながらも、鼓の皮に張られている親狐を慕う気持ちも時折見せる、なかなかに難しい役である。

勘太郎の忠信はとにかく地味、ってゆうか、狐度が低い。おまけに、亀治郎もどちらかと言うと地味な役者なので、“女雛男雛”の立雛もあまり美しくない。

ってことで、結局、最後まで歌舞伎を観たという満足感は味わえないまま終わってしまった。若手の勉強会と思えば、それも当然だが……。その中で、亀治郎だけはちゃんと歌舞伎を感じさせてくれた。ま、他の4人は、これから歌舞伎になっていけばいいわけで(をいをい)。

客席には若い人も多く、確かに、歌舞伎の裾野は広がったような。この人たちが、次は歌舞伎座に来るかも知れないわけだし、企画としては成功なのだろう。ま、でも、辰之助(当時)、菊之助、新之助の時は、客席こそ空いていたが、歌舞伎の雰囲気はもっと濃密に感じられたけどなぁ。

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