« 新国立劇場 演劇2003/2004シーズン『透明人間の蒸気(ゆげ)』シアター・トーク | トップページ | 新国立劇場バレエ団『ロメオとジュリエット』 »

2004年4月13日 (火)

新国立劇場 演劇2003/2004シーズン『透明人間の蒸気(ゆげ)』

2004年4月13日(火) 新国立劇場 中劇場

[作・演出]野田秀樹
[美術]堀尾幸男 [照明]小川幾雄 [衣装]日比野克彦

3年前の『贋作・桜の森の満開の下』に続き、野田秀樹が《劇団 夢の遊眠社》時代の作品を、広大な舞台空間を持つ新国立劇場・中劇場で上演するシリーズ(?)第2弾。バブルの余韻が残る1991年に書かれたこの作品は、近年の『パンドラの鐘』や『オイル』のルーツとも言える。観劇の数日前にスタッフによるシアター・トークに参加したので、その内容も絡めて書いておく。

ヘレン・ケラ:宮沢りえ
透アキラ:阿部サダヲ
サリババ先生:野田秀樹
華岡軍医:手塚とおる
愛染かつら看護兵:高橋由美子
のらくろ軍曹:有薗芳記
ロボット三等兵:大沢健
有閑マダムナナ(お七):秋山奈津子
住友花子:篠崎はるく
父刑事、イザナミのミコト:六平直政

劇場に入ると、まず、デカい日の丸が度胆を抜く。緞帳の代わりか? やがて、日の丸は舞台真上に引き上げられ、その下に跳び出してくる役者たち。手をつないで輪になると、上体を前に倒しながら片足を上げ、身体を揺すり始める。あはぁ、これってパラシュート?(ってゆうか、時代を考えると、落下傘?)その後は、ふわりと床に広がって、「20世紀で消滅してしまうもの」を包む風呂敷になる。スピード感溢れる幕開け。

舞台は鳥取砂丘。何もない空間。ダンボールで作られたまっさらな砂漠に、役者たちの足跡が刻み付けられていく。その何もない空間に向かって、舞台の奥から走り込んでくる宮沢りえ。それだけで、ある種の感動を覚える。

シアター・トークより

冒頭の日の丸について。初演では、日の丸の持つ生々しさを薄めるため、そこに言葉(白抜きで「ロミオとジュリエットが、悲劇で終わったのは、もう昔の話だ」)を書いたが、今回は必要ないと判断した。その後の、落下傘→風呂敷の使い方は野田秀樹の発案、そういう使い方ができるという機能的な提案をしたのは美術の堀尾幸男。

中劇場の奥行きについて。「ここでやる理由は奥行きしかないからさぁ」と、冗談とも本気ともつかない発言をしていた野田だったが、やはり、ここの奥行きは何度観ても衝撃的。とは言え、実際には、それほどでもないらしい。舞台は“騙す”ものだから、照明や美術でそう見せているだけ、とのこと。

今回の美術は、足跡を残すため、床にダンボールを使用し、公演毎に張り替えている。お金かかってなさそうで、意外とかかっている?

「20世紀を千代に八千代に後世へ伝えよ」

太平洋戦争開戦の日に下った勅命。それを受け、「20世紀で消滅してしまうもの」の収集に励む華岡軍医、愛染かつら看護兵、のらくろ軍曹、ロボット三等兵たち。アルミのお弁当箱、電話ボックス、味噌カツ……それらのものと一緒に「20世紀を生きた人間」として選ばれたのが、結婚詐欺師の透アキラだった。華岡軍医らに捕まり、爆発事故で透明人間になってしまうアキラ。しかし、目の見えないヘレン・ケラだけには彼の姿が見えていた……。

現実の世界と黄泉の国、銭湯の番台のこちらと向こう、見世物小屋の舞台と裏が、絶えず反転を繰り返す野田ワールド。そこで語られるのは、透明人間と目の見えない少女との切ない恋物語であると同時に、「言葉、言葉、言葉」を巡る物語でもある。

全編を彩る野田特有の言葉遊び。アキラは嘘の言葉で愛を囁き、「20世紀を後世へ伝えよ」という勅命も、「20世紀梨」の聞き間違えだったりする。

私たちは、いつから言葉を、これほど疎かに扱うようになったのだろうか?

新聞紙を使った衣裳が、その主題をさらに明確に視覚化する。

そしてもうひとつ、日の丸に象徴される日本の現状。現実の世界と黄泉の国を行き来する出入り口は、日の丸の真ん中にポッカリと開いた焼け焦げた穴だし、その穴を塞ぐのは星条旗だ。敗戦と真正面に向き合わないまま21世紀を迎えた日本人に対する痛烈な皮肉。

再演にあたり、結末を変更している。初演では、皆を騙し、詐欺師としての誇りを述べるアキラが、今回は軍隊の一斉射撃に倒れ、物語は悲劇で終わる。21世紀を迎え、もはや我々は、言葉の持つ力を信じられなくなってしまったのか……。

シアター・トークより

新聞紙の衣裳について。衣裳の日比野克彦は、プランニングの段階から新聞紙の衣装を提案。野田の芝居はワークショップで作っていくので、早い時期から自分の意見を出していった方が仕事も進めやすい。素材が紙だと、洗濯できないし、補修が必要だし、制作スタッフはたいへん。また、静かなシーンで音がしたりもする。野田は、そういったネガティブな面も考慮したうえで、日比野案にOKを出した。

結末の変更について。野田曰く、「オレも変わったし、社会も変わった。オレ自身も社会も、言葉を信用できなくなっている。いわば、一種の“不信表明”かな」。

プログラムにあった野田の言葉そのままに、私たち日本人は、「ぼんやりとしているけれど、ぼんやりと不幸になりかかっているのかもしれない」。

個人的なことを言えば、《劇団 夢の遊眠社》が人気絶頂だった時代に、すでに戦後の日本人を意識した作品を野田が書き始めていたこと、そして、そのことに自分がまったく気づいていなかったこと、その事実に、今回、改めて愕然とした。

華岡軍医の手塚とおるに泣いた。愛染かつら看護兵の高橋由美子も忘れ難い。
ヘレン・ケラの宮沢りえ、初々しく可憐。ここまでやれるとは、正直、思っていなかった。でも、ワタクシ的には、ここ最近における野田作品のヒロイン=深津絵里なので、「深津ちゃんなら……」と、思うこと度々(すまん)。

シアター・トークより

役者について。野田は、チラシなどに作品のコメントを寄せるのがあまり好きではないらしい。同様に、役者に対して説明するのも好まない。ただ、個人的にヒントは与える。例えば、華岡軍医の手塚とおるには、「終盤のセリフは三島由紀夫自決前のバルコニーの演説だから」と言ったそうな。

出演者間で共通の認識を持ったり、作品世界をきっちり作り込んでいくのはイヤだが、個別に示唆を与えることで、役者のセリフは必ず変わる、と同時に、役者の勘違いも面白いと思っている、とのこと。

今回、歌舞伎の手法を取り入れた演出が、いくつか目についた。細長いダンボールを、時に花道のように使ってみたり、見世物小屋の幕を、色は違うが(濃い茶、薄い茶、白)定式幕にしてみたり、音楽に邦楽器を使ってみたり。歌舞伎を演出した経験がこうして活かされているのは、両者のファンとして嬉しい。

|

« 新国立劇場 演劇2003/2004シーズン『透明人間の蒸気(ゆげ)』シアター・トーク | トップページ | 新国立劇場バレエ団『ロメオとジュリエット』 »

2004年鑑賞記録」カテゴリの記事