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2004年7月 9日 (金)

世田谷パブリックシアター+コンプリシテ(ロンドン)共同制作『エレファント・バニッシュ』

2004年7月9日(金) 世田谷パブリックシアター

[演出]サイモン・マクバーニー [美術]マイケル・レバイン
[照明]ポール・アンダーソン [音響]クリス・ジャット
[映像]ルパート・ボール、アン・オコーナー
[衣裳]クリスティーナ・カニングハム

村上春樹の短編『象の消滅』『眠り』『パン屋再襲撃』(村上春樹短編集『The Elephant Vanishes』1993 Knopf刊より)をモティーフに、イギリスの演出家サイモン・マクバーニーと日本人の俳優たちが断続的なワークショップを重ねて作り上げた作品。初演は昨夏。「さらに洗練されたスタイリッシュな舞台」になっての再演だそうな。

吹越満、高泉淳子、宮本裕子
高田恵篤、立石涼子
瑞木健太郎、望月康代

舞台にポツンと置かれた冷蔵庫。

開演時間になると、いきなり演出助手の女性が舞台に現れ、拙い日本語で開演が遅れる旨を観客に伝える。どうやら照明関係にトラブルがあったらしい。やがて、通訳代わりに立石涼子が呼び込まれ、ハプニングでも何でもなく、すでに芝居が始まっているのに気がつく私(って、遅いのか?)

「ある日突然、象舎から象が消える」という不思議な出来事を目撃した家電メーカーのプレス担当の日常を描いた『象の消滅』。17日間も眠れず、ひたすら『アンナ・カレーニナ』を読み耽る歯科医の妻の行き着く先を描いた『眠り』。深夜、激しい空腹に襲われた新婚夫婦が、パン屋ならぬマクドナルドを襲撃するまでを描いた『パン屋再襲撃』。

残念ながら、私は村上春樹のいい読者ではない。今回ベースとなった短篇にしても、何となく読んだ気もするが、内容はまったく覚えていない。だから、この舞台が“村上ワールド”をきちんと具現できていたのかどうか、正直言って、よくわからない。

ただ、“文学”を濃密に感じたのは確かだ。物語には、その物語に必要な文体がある。そして、マクバーニーの演出にも“文体”を感じた。小説における人称と視点の関係が、明確に認識されていた。

天井から吊り下げられたモニター、寒々しい光を放つ何本もの蛍光灯、電車の高架線。右に左に移動する冷蔵庫、椅子、テーブル、ベット、引き戸。その上に投影される、夥しいまでの映像、映像、映像。客席に向けて発せられる強烈な照明、照明、照明。俳優たちはいくつもの役を入れ替わり立ち替わり演じ、その声はPAで増幅され、時に、録音された声とも対話をする。

いやいやいやいや、何とも過激な舞台だ。日常の延長線上にある非日常、現実と虚構のあわい、都会に暮らす人々の孤独といったテーマは、やり方によってはとてつもなく陳腐なものになる危険性を孕んでいるが、それをここまでスリリングかつエキサイティングに表現したマクバーニーの演出は快感すら覚えるほど。しかも、その印象は時間が経つにつれ、ますます鮮明になっていく。

ありきたりの演劇的表現から脱却した演出、俳優たちの没個性的でありながら普遍的な存在感、さらに、物語の進行と共に次々と表情を変える舞台空間。イギリスと日本、スタッフとキャスト、演劇と映像……そうした国籍、役割、ジャンルを超えた見事なコラボレーション。それを、都でも国でもなく、世田谷区の財団がやってしまうとは!

劇場オープン以来の企画で、7年以上の歳月を費やしたらしいが、昨夏のロンドン公演に続き、今年はワールド・ツアーが決定。ニューヨークのリンカーンセンター・フェスティバルに招聘され、その後は、ロンドンやパリでの公演も予定されているという。

帰り道、世田谷線に揺られながら、今まで一度もここの主催公演に足を運ばなかったことを、世田谷区民として深く深く反省しましたデス。

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