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2005年3月25日 (金)

新国立劇場バレエ団 エメラルド・プロジェクトNo.1『カルメン』by 石井潤

2005年3月25日(金)&27(日) 新国立劇場 中劇場

[演出・振付]石井潤 [音楽]ジョルジュ・ビゼー [台本]児玉明子
[舞台装置]朝倉摂 [衣装]前田文子 [照明]沢田祐二
[編曲・指揮]ロビン・バーカー [管弦楽]東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

オリジナルの物語バレエ創作を目指し、「若々しく活力あふれる舞台、緑の風を巻き起こすような清新で驚きのある振付、そして観客の皆様にとって美しい宝石となるようなバレエ誕生を願う思い」を込めて誕生した企画“エメラルド・プロジェクト”。その記念すべき第1弾が、『カルメン』by 石井潤である。

う〜む、そのネーミングのセンスひとつとっても、あまり期待はできないわけで。しかも、台本が宝塚歌劇団の作・演出家だぜ、「推して知るべし」ってなもんでしょう。ま、それならそれで観なきゃいいンだが、前から注目していた本島美和がタイトルロールを踊るのよねぇ、やはり観ないわけにはいかないわよねぇ。あ、ついでだから初日のチケットも取っちゃおう……って、もしかして、新国立劇場バレエ団が好きなのか?>ぢぶん

カルメン:酒井はな(25日)/本島美和(27日)
ドン・ホセ:山本隆之/貝川鐵夫
エスカミーリオ:マイレン・トレウバエフ
ミカエラ:真忠久美子/西山裕子
スニーガ:市川透
フラスキータ:西川貴子/遠藤睦子
メルセデス:厚木三杏/寺島ひろみ
パスティア:ゲンナーディ・イリイン

【第1幕 プロローグ(闘牛場)〜タバコ工場前の広場〜地下牢〜密輸人達のアジト(リリアス・パスティアの酒場)】

女は気むずかしいもの、おとなしいときは二つだけ、寝床の中と墓の下。

古代ギリシャの詩人パラダスの言葉
『カルメン』プロスペル・メリメ作/堀口大學訳(新潮文庫)より

原作はプロスペル・メリメの同名小説。ジョルジュ・ビゼーによるオペラは、フランス、いや、全オペラ作品の中でもダントツの人気を誇り、タイトルロールのカルメンは、“ファム・ファタル”の代名詞ともなっている。情熱的で自由奔放な女。男を破滅させる危険な女。ンが、それだけならマノンと変わらないわけで。彼女のアイデンティティはジプシーという出自にこそあるのではないだろうか?

前奏曲からイントロダクション。牛さながら、首を縄で括られて引きずり出されるドン・ホセ。悲劇を予感させると共に、ホセの転落は本人の資質にも負うということを暗示している?

カルメンの酒井はな、客席を威圧するような存在感。ある種の禍々しさ。それはたぶん、私がイメージするジプシー女のカルメンとは確実に違うが、「ウールを着てはいても、羊じゃないのよ。軽い火傷ですんだと聖母に蝋燭をあげるといいわ」と、今にも言い放ちそうな危うさは孕んでいる。ただ、あのアイメイクはどうよ? メリメの原作にある「野性的な美しさ」や「情欲的で狼のような狂暴な目」を意識したにしても、ちょっとやり過ぎなんじゃ?

もともとキツめの顔立ちをしている本島美和は、まさに「見た瞬間にハッとするタイプの顔」。清潔感があり過ぎて、カルメンというよりは“カルメンに憧れる少女”ってあたりが、何とも惜しい。あと、踊りがダイナミックな割には気持ちが前に出てこない。

ドン・ホセの山本隆之は朴訥でありながら色気も湛え、カルメンがからかったり、くわえていた薔薇の花(原作ではカッシア/Cassiaの花)を投げかけたりするのも充分に納得できる。
貝川鐵夫はとにかくプロポーションが抜群。長い手脚を生かしたメリハリある踊りで、非常に端正。ただ、カルメンに「綺麗な男だねぇ、気に入ったよ」と言わせるほどの色気はまだないかも。

ミカエラ(肩まで垂らした編毛はなかったものの、空色のスカートならぬワンピース姿)の真忠久美子と西山裕子、スニーガの市川透は適材適所。特に、西山の上半身、中でも腕の使い方がたおやかで素晴らしかった。

フラスキータとメルセデス。西川貴子&厚木三杏コンビは長身で垢抜けた雰囲気がそれなりに役に合っていたが、遠藤睦子&寺島ひろみコンビは、片や糠味噌臭い姐さん、片や世間知らずのお嬢さん。トホホ。

工場前の広場、くわえタバコで踊る女工たち。最近はタバコに対して神経質な反応をする客もいるだろうが、演出としては悪くない。悪くはないが、安易(オペラでもよく見かけるし)。ま、でも、新国立劇場のお嬢様たちがよくぞここまで蓮っ葉な女を……ってな気持ちが一番強いかも(笑)。

1幕クライマックスは、上官を刺し殺し追い詰められたホセとカルメンの激しいパ・ド・ドゥ。あからさまにsexを思わせる振付がやたらと目立つが、演出・振付を担当した石井潤って、どうも安直でひねりに欠けるような。これ見よがしにトゥシューズを脱ぐ振付にしても、「自分の身体を与える」とか、「人間的なもの、リアルなものを表現する」とか、わかりやす過ぎ。絵的にも既視感が強く、やたらと絵画や映画のワンシーンを彷佛させる。

【第2幕 エスカミーリオの凱旋〜カルメンの幻想〜山中のキャンプ〜ホセの幻想〜闘牛場近くのカフェ〜フィナーレ(闘牛場外)】

エスカミーリオのマイレン・トレウバエフは、とにかく地味。踊りはキレキレだったよ。豪奢な衣裳は重いだろうに、華麗にスパスパ飛んでいたよ。ンが、グラナダ一の闘牛士なンでしょう? 彼の登場に人々は熱狂するンでしょう? それにしては、あまりにも華がなさ過ぎ。あと背丈も。ついでに言えば、田舎の床屋に貼ってあるヘアモデルみたいな髪型も勘弁してくれ。闘牛場へ向かうための身支度シーンなど、美しい見せ場(とは言え、何かの映画にも似たようなシーンがあったが)もあるのに、あれでは台無し。いないのか? 他に相応しいダンサーはいないのか?

2幕の白眉は、カルメンが去った後のホセのソロ。山本隆之がとにかく素晴らしかった! 歓喜、絶望、後悔、覚悟といった様々な感情表現が驚くほど的確。全体に漂う寂寥感も胸に迫る。いや、お見逸れしました。
貝川鐵夫は時々素に戻るような。「これから回ります」とか、「これから飛びます」とか、言っちゃうンだな、顔が。

忘れちゃいけない、エスカミーリオの身支度から続くカフェのシーン。無音の中で闘牛士の姿を真似る男たちと、軽やかな音楽をバックに街の噂話に興じる男女。ちなみに、この曲はオペラの1幕に出てくる子供たちの合唱だが、今回はダンサー自身によるスキャット(?)で対応。

う〜む、狙いはわかるが、イマイチ効果なかったような。カルメン、ホセ、エスカミーリオの三角関係を揶揄する後半はともかく、前半はダンサーに無理がある。吉本泰久を中心に男性5人で闘牛士の真似をするのだが、吉本が小柄なため、どうしても子供が真似ているように見えてしまうのだ。生と死がせめぎあう闘牛場。その張り詰めた空間を再現した状況で、それはキツい。やはりここは、長身で男前のダンサーにご登場願いたいものである。あるいは、「昔はいい男だったのよね〜」というおやぢにやらせるとか(それこそ、イルギス・ガリムーリンあたり、どうよ?)。それぐらいのひねりはあった方が面白いと思うぞ。

しっかし、カルメンの造型は如何なものか? 幻想シーンでの弱さの露呈(「私だって、こんな生き方いいと思っているわけじゃないのよ」みたいな)や、殺される直前に見せる過去への郷愁(ホセが差し出した薔薇の花に、一瞬、心が揺れる)なんて、笑止千万。

原作のカルメンはジプシーとしての掟に生きる女。オペラのカルメンは移り気なただの頭の悪い女。さらに、バレエ(ローラン・プティ)にもスペイン舞踊(アントニオ・ガデス)にも映画(ジャン=リュック・ゴダール)にもカルメンは存在する。だから、人それぞれにカルメン像があるのはわかる。わかるが、カルメンは「自由に生まれ、自由に死ぬわ!」と、胸を張るジプシー女なのだ。壮絶な美貌を持ち、残酷なまでに強靭。だからこそ、あの物語にも説得力が出るンじゃないのか?

結局、作り手が自分のわかりやすい世界観でしか物語を語れなかった、ってことなんでしょう。奔放に振る舞っていても、心は純。男たちに傷つけられ、運命に弄ばれ、ようやく真実の男に出会ったのに、どうしても彼の愛を信じることができず、最後は愛する男の刃に倒れる……。そうですか、そういうのが「普遍的な人間のドラマ」ですか。
だいたいさぁ、どうして宝塚の作・演出家に台本を頼むよ? 女が男を演じるファンタジーの世界に生きる方ですよ。そこからして間違っていないか? ったく、よーわからん。

確かに、新制作で気合いの入った舞台を見せてもらったとは思う。ダンサーも健闘していた。ただ、振付・演出的には「どこかで観た」感が強く、装置や照明もシンプルでありきたり。正直、舞台芸術としては凡庸な印象。あ、でも、衣裳はよかった。主に演劇の分野で活躍している前田文子を起用したのは正解。

今回、一番興味深かったのは音楽。「ミュージカル・ナンバーはオペラと順番の異なるものに」なっていて、おまけに、「ビゼーの他の作品をいくつか」使っているにもかかわらず、聴こえてくるのは、まぎれもなく『カルメン』の世界なのだ。明瞭なメロディ・ラインと色彩的効果に富んだ異国情緒。通俗的ではあるが、そこがまた、世界中に愛される所以なのだろう。

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