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2005年11月21日 (月)

東京バレエ団全国縦断公演《シルヴィ・ギエム・オン・ステージ 2005》

2005年11月21日(月) 東京文化会館

またまた映画祭(今度は東京フィルメックス)開催期間中のため、気持ちの切り替えがイマイチ悪い。せっかく全体を見渡せる3階席を取ったのに、オペラグラスを忘れたり。ったく、何やっているンだか……。

『テーマとヴァリエーション』
[振付]ジョージ・バランシン [音楽]ピョートル・I・チャイコフスキー

吉岡美佳、木村和夫
乾友子、高木綾、長谷川智佳子、大島由賀子
横内国弘、宮本祐宜、辰巳一政、長瀬直義

薄明かりの中、テープ演奏が始まる。ちえっ、テープかよ?
ぢつは、その時点でかなり萎えていた。やがて完全な暗闇が訪れ、一瞬後にパッと照明が灯ると、舞台はいかにも“クラシック・バレエ”の世界。ブルーの衣裳に身を包んだダンサーたちが整然と並んでいる。「をを! 美しい〜」と、気分が大いに盛り上がるも、踊り出したらまた萎えた。

う〜む、東京バレエ団でバランシン作品を観るべきではないのかも。ってゆうか、選んだ日にちが悪かったか? 若手中心のセカンドキャストで、それはそれは面白味に欠ける。正直、吉岡美佳と木村和夫がいなかったら寝ちゃったかも。

普段ならワクワクするフィナーレも、何だか、全然、沸き立たない。これって、テープ演奏だから? それとも、バレエ団に対する愛情の問題かしらん?

吉岡はエトワールらしい気品溢れる踊りで、たいへん美しかったです。木村はいつものようなキレはないものの(ややお疲れ気味?)、ノーブルな存在感は相変わらず。

『PUSH』
[振付]ラッセル・マリファント [照明デザイン]マイケル・ハルス
[音楽]アンディ・カウトン [ヴォーカル]バーバラ・ゲルホーン
[衣裳]サーシャ・カイヤー

シルヴィ・ギエム、マッシモ・ムッル

あれだけゆったりした動きを、あれだけ滑らかに見せるのは、さぞたいへんなことでしょう。『ボレロ』の前にこれを踊ってしまうシルヴィ・ギエムって……。

振付、音楽、照明など、すべてが完璧なバランスを保っている。そのうえ、予想以上に官能的な作品で、ギエムが妙にセクシー。ンが、また観たいかと訊かれたら、答えはたぶん、「否」。そうですか、今の彼女の興味は、こういうミニマムな作品に向かっていますか。

少しだけマッシモ・ムッルを見直した。

『春の祭典』
[振付]モーリス・ベジャール [音楽]イーゴリ・ストラヴィンスキー

生贄:大嶋正樹
二人のリーダー:横内国弘、平野玲
二人の若い男:小笠原亮、長瀬直義
生贄:井脇幸江
四人の若い娘:高村順子、門西雅美、小出領子、長谷川智佳子

幕開けの緊張感のなさには、マヂで目を疑ったよ。セカンドキャストだから仕方ないとは言え、やはり、後藤晴雄と木村和夫の不在はイタい……なんてことを思っていたら、ひとりのダンサーが目に止まる。それが、大嶋正樹だった。

身体が非常に充実しているし、踊りにおいても、モーリス・ベジャールの振付を見事に具現している。この集団において、ひとり、異彩を放つ存在。選ばれるべくして選ばれた生贄。それは、井脇幸江にも言えるわけで。静謐さの中に秘めた熱情。他の誰よりも熱いものを抱えながら、他の誰よりも醒めている。

そんなふたりが出会い、とてつもないエネルギーが発生した。相乗効果と言えばいいのか、何かすんごいものを見せてもらった(あくまでも、このふたりに関してね)。

ただひとつ、井脇の踊りの輪郭が曖昧になってきているのが気になる。

『ボレロ』
[振付]モーリス・ベジャール [音楽]モーリス・ラヴェル

シルヴィ・ギエム
木村和夫、平野玲、古川和則、大嶋正樹

作品にもダンサーにも格別な思い入れのない私には、あっという間の20分だった。
「飯田宗孝のスキンヘッドは目印だったのに、芸術監督になったら踊らないのか」とか、「これからは平野玲を木村二世と呼ぼう」とか、「何があったか知らないが、大嶋正樹は確かに一皮剥けたね」とか、「古川和則は存在そのものがたおやかだわ」とか、「今回、中島周がメインの作品を観られなくて残念」とか、「高橋竜太にあと少し背があればな……」とか、リズムにツッコミ入れているうちに、あら終わっちゃたよ(いいのか、それで?>ぢぶん)。

ギエムからは以前のような苛烈さは感じられず、むしろ、穏やかな空気が漂っていた。なんつーか、自然体の『ボレロ』? 首藤康之の時にも思ったが、殊更“最後”に意味を求めるのは観客の方であって、ダンサー自身は粛々と踊っているだけなのかも(ま、カーテンコールの熱狂ぶりからすれば、そんな天の邪鬼なことを考えていたのは少数派でしょう)。

『PUSH』『春の祭典』『ボレロ』と観て、「最近の作家は周囲数メートルの範囲でしか物事を考えられない」という批判を思い浮かべたり。マリファントは“私とあなた”を描き、ベジャールは“私と世界”を描く。良くも悪くも、ベジャールは20世紀の振付家なのね。

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