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2007年10月20日 (土)

彩の国シェイクスピア・シリーズ第18弾『オセロー』

2007年10月4日(木)〜21日(日) 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
http://www.saf.or.jp/

[演出]蜷川幸雄 [作]W・シェイクスピア [翻訳]松岡和子
[美術]中越司 [照明]岩品武顕 [衣装]小峰リリー [音響]井上正弘
[ヘアメイク]宮内宏明 [ファイトコレオグラフィー]國井正廣
[音楽コーディネイター]池上知嘉子 [音楽]かみむら周平

オセロー:吉田鋼太郎
デズデモーナ:蒼井優
イアゴー:高橋洋
エミリア:馬渕英俚可
キャシオー:山口馬木也
ブランバンジョー:壤晴彦

ヴェニス公国の公爵:清水幹生
ロドヴィーコー:手塚秀彰
グラシアーノー:小田豊
元老院議員1:山野史人
ロダリーゴー:鈴木豊
モンターノー:妹尾正文
元老院議員2、従者:高瀬哲朗
紳士1、元老院議員:清家栄一

虚仮威しとまでは言わないけど、蜷川幸雄の演出にはあっと驚くような派手な幕開けが多い。ンが、今回は聞こえるか聞こえないかの囁き声で始まる。なるほど、そうきましたか。声が小さいと観客も何とか聞き取ろうと集中せざるを得ないわけで。日頃から最初の5分を大事にしている人らしい発想だよな。もちろん、夜の街頭で交わされる会話(しかも、恨みつらみを述べたてる)ということもあるだろうけど。

シェイクスピア作品の中では比較的狭い世界というか、あくまでも家庭の悲劇を描いた『オセロー』。ンが、蜷川が演出する以上、当然、それだけでは終わりません。演出家の意図が一番明確に現れていたのが、デスデモーナ殺害シーンの効果音かな。普通に考えたら有り得ない爆撃音が通奏低音のように響き続けている。つまり、この悲劇の構図は家族という枠組を越え、国家的な広がりすら有するということを言いたかったのではないかな、と。

オセローの吉田鋼太郎、登場シーンの美丈夫ぶりにビックリ〜。まさに、高貴な生まれの雄々しい将軍。一転、後半の苦悶は、己の愛にこそすべての原因があったことを感じさせて哀れ。なんつーか、吉田のオセローには、イアゴーの奸計がなくてもこういう結果になったのではないと思わせる何か──自己愛とでも言えばいいのだろうか──が感じられる。

高橋洋がイアゴーを演じることに感慨を覚えつつ……う〜む……5年早かったかも。「俺は見えるとおりの俺ではない」と自ら語りながら、周囲からは常に「実直なイアゴー」と呼ばれる徹底した二重性。その割には振幅が狭いような。もっと大胆に演じて欲しかったかも。
ただ、見た目はいい。オセローの吉田やキャシオーの山口馬木也に比べると小柄でパッとしないから、見るからに鬱屈や絶望を抱え込んでいそうで無理がない……って、褒めてない?(笑)
最後にイアゴーが口を閉ざすのは、「理由を言ってもわかならいから」ではなく、「言わなくてもわかるから」なんでしょう。何故なら、人間が嫉妬するのではなく、嫉妬こそが人間だから。

デズデモーナの蒼井優はただ一言、拙い。表情や声、身体のコントロールが全然できていないから、終始、チグハグな印象を受ける。そこにいるのはデズデモーナではなく、生身の蒼井優を目にしているという居心地の悪さ。父親に従うという当時の規範に抗い、年齢も人種も越えた結婚を選ぶ聡明で芯の強い女性というよりは、ただの無知な少女にしか見えない。

馬渕英俚可が真正直な心を持ったエミリアを好演。終盤、オセローやイアゴーに対して一歩も退かず立ち向かう姿は、なかなかの迫力。

舞台左右と奥に据えられた階段の多用が、恣意的な時間の流れを感じさせないスピーディな展開に一役買っていた。

しっかし、与野本町は遠かったー!

《埼京線 与野本町発 時刻表のご案内》を配布するぐらいなら、上演時間を考えてくれ。

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