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2008年11月23日 (日)

スペイン国立ダンスカンパニー『ロミオとジュリエット』

2008年11月22日(土)〜24日(月) 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
http://www.saf.or.jp/

[音楽]セルゲイ・プロコフィエフ [振付]ナチョ・ドゥアト
[衣裳デザイン]ロルデス・フリアス [舞台美術]カルレス・プヨル、パウ・ルエダ
[照明デザイン]ニコラス・フィシュテル(オリジナル・プラン:ミゲル・アンヘル・カマーチョ)

ジュリエット:ルイサ・マリア・アリアス
ロミオ:ゲンティアン・ドダ

キャピュレット夫人(ジュリエットの母):アナ・テレサ・ゴンザガ
キャピュレット(ジュリエットの父):ディモ・キリロフ
マキューシオ:フランシスコ・ロレンツォ
ティボルト:クライド・アーチャー
乳母:ステファニー・ダルフォン
パリス:アモリー・ルブラン
ベンヴォーリオ:マテュー・ルヴィエール

撓み、歪み、捩れ、絡まり合うドゥアト独特の身体表現が、そのまま登場人物たちの感情表現になっている。
舞台美術は驚くほどシンプルでありながら、照明、衣裳、小道具など、すべてにおいてドゥアトの美意識が貫かれている。
場面転換が鮮やかで、スピード感に溢れ、1幕、2幕共に約1時間という上演時間もちょうどいい。
『ロミオとジュリエット』のバレエ化としては、文句のつけようがない。
完璧。

面白かったのが、原作のマキューシオとティボルトの造型を、そのままモンタギュー家とキャピュレット家に反映させている点。モンタギュー家は自由奔放でプリミティブ、キャピュレット家はスタイリッシュでエレガント……って感じで、衣裳も明らかに違う。
あとは、あの空間構成力の見事さかな。ダンサーの出入りや立ち位置も含めて、まったく無駄がないというか、そんなに大勢のダンサーが出ているわけでもないのに、隅々まで充実しているというか。カーテンコールに並ぶダンサーの姿を目にして、こんなに少なかったっけ? と、驚きましたですよ。

ジュリエットのルイサ・マリア・アリアスは、ドゥアトが語る「好奇心に満ちあふれ、何よりも生きることに積極的で、家の敵であるロミオとの恋に突き進む勇気もある」少女を、全身全霊で表現。ある意味、これはジュリエットの物語なのだと、納得。

昨年観た『バッハへのオマージュ』で「好きかも」と思ったゲンティアン・ドダ(その時の表記はジェンティアン・ドゥダ)がロミオで嬉しかったけど、そこはかとなくぽっちゃりしたような。気のせいですか、そうですか。
何故か、走る姿はメチャメチャ爽快(彼に限らず、ここのダンサーは走りっぷりが清々しい)。

フランシスコ・ロレンツォは陽気で饒舌で野性的でどこか危うさを秘めたマキューシオを、クライド・アーチャーは気位が高く気障で喧嘩っ早いティボルトを、それぞれ好演。特に、アーチャーの身体能力の高さとシャープな踊りは強烈。
両家に分かれた秋山珠子、アフリカ・グスマン、ホセ・カルロス・ブランコらプリンシパル・ダンサーはじめ、すべてのダンサーが素晴らしかった!

……とは言うものの、ワタクシ的には、想像力がより刺激されるアブストラクトな作品を、もっともっと観たいわけで。来年もどこかで招聘してくれないかしらん?

◆ ポスト・パフォーマンス・トーク ◆
例によって、記録ではなく記憶です。英語で答えるドゥアトがちょっと意外だったンだけど、考えてみれば当然か。

──ジュリエットがイノセントでビビッドでとても感銘を受けました。
「本作のようなストーリーとキャラクターのあるバレエは、私にとっては最初で最後です。これまでアブストラクトな作品ばかり創ってきましたし、実際、そちらの方が物語バレエより好きです。本作を手掛けたことで、自分でもこの手の作品が創れることがわかりました。と同時に、観客や批評家にもわかってもらえたのはよかったです。世間一般では、振付家は物語性のある作品を創れて一人前、というような考え方がありますから」
「プロコフィエフの音楽は、バレエ音楽の中でも最高のものだと思っています。音楽に惹かれ、物語に惹かれ、普遍的な愛の力、つまりは、愛の力で憎しみの世界を打ち砕くことを描きたかったのです。シェイクスピアも、愛だけではなく憎しみも描いています。愛と憎しみがあり、最後に愛が勝つのです」

──すべてのキャラクターが際立っていますね。
「たいていの場合、ジュリエットは少女、キャピュレット夫人は年嵩の女性、乳母はでっぷりした女性、といった感じになります。でも、14〜15歳の少女の母親なら30歳代でしょう。また、私にも乳母がいましたが、太ってはいませんでした。そう考えれば、みんな普通に動けるわけですから、ステレオタイプではなく、ひとりひとりの動きを重視するように、ソロ、パ・ド・ドゥ、集団、それぞれで見せ場を創るようにしました」
「プロコフィエフの指示はスコアにすべて書かれています。ですから、私はそれに従うだけです。曲をカットしたり、順番を入れ替えたり、新たな解釈を施したりすることには、正直、疑問を感じます。ダンスそのものはコンテンポラリーかも知れませんが、物語や音楽には非常に忠実な作品です」

──バルコニーのパ・ド・ドゥも、ジュリエットの部屋のパ・ド・ドゥも、どちらも素敵ですね。
「バルコニーのパ・ド・ドゥはシンプルであることを心掛けました。それと、キスはしないこと。他の振付家の作品では、ジュリエットはアラベスクとキスばかりです。私は、全体を通してキスする時の“感情”が伝わることを第一に考えました。ジュリエットの部屋も、スコアに指示がありますのでベッドを出さないわけにはいきませんが、基本は同じです」

──多くの人々から学んだことは、ご自分の中でどのように形作られていますか?
「すべての人から何かしらを学んできました。優れた人からも、そうでない人からも。ただ、あくまでも振付は個人的なものです。ダンサーとの関わり方、統率の仕方、集中の仕方などは、見て学ぶしかないのです」

──舞台美術が素敵でしたが、アイデアはどこから得たのですか?
「10年も前の作品なので、もう覚えていません。今回は、こちらのスタッフと劇場のスタッフがそれぞれのアイデアを出し合って、こういう形になりました。海外公演は予算的な問題もありますので、シンプルにならざるを得ません」

──何度も来日されていますが、日本でアイデアの源泉になりそうなものはありましたか?
「5年ほど前に、俳句をテーマに作品を創りました。いつか日本でも上演したいですね。日本の文化には興味があります。日本人もスペインの文化をお好きですよね。フラメンコとか。日本人とスペイン人は気質が似ていますが、スペイン人はそれを表に出し、日本人は内に秘めるようです」

──フランスの《ジンガロ》も近いうちに俳句をテーマにした作品を創るそうですよ。
「主宰のバルタバス氏とは一緒に仕事をする計画があります。私は、目新しいことをやるのではなく、“やりたい”という心に忠実に創作しています。人を驚かせようとするわけではありませんので、テーマが被っても気にしません。そうは言っても、俳句は日本人でないと、本当のところはわからないと思います。俳句の魂には、私も彼も近づくことはできないのではないでしょうか」

──スペイン人には俳句をリスペクトしている方が多いようですね。ビクトル・エリセ監督も『奥の細道』を自分の創造の源だとおっしゃってます。
「確かに、スペインに俳句好きは多いです。インターネットではスペイン人が読んだ俳句がたくさんヒットします」

ここからは観客の質問。
──初演から10年、何か手を入れたりしているのでしょうか?
「初演とまったく同じです。違うのはダンサーだけ。変えるのは好きではありません。間違えることもありますが、その経験は次の作品に活かすようにしています。手を入れるのは、美容整形を繰り返すようなもので、あまりいいとは思いません」
「本作は、クラシカルで特異な作品です。時々、こうやって上演するのは好きですが、私の関心はアブストラクトな作品の方に向かっています」

──今、一番興味を持っているものは何ですか? また、それを作品化し、私たちが観られるようになるのは、いつ頃になりますか?
「今、興味を持っているのは“エロティシズム”です。何故なら、カンパニーにはエロティシズムを感じさせるダンサーがたくさんいるからです」
「私は、自分が感じたことを観客と分かち合いたいと思っています。最近では、テロや人種差別をテーマに作品を創りました。もうひとつのカンパニーでは、“子供と戦争(戦争に巻き込まれた子供)”をテーマに新作を創っています。他にも複数の作品が進行中ですが、“愛と死”がすべてに共通しています」

──できればナチョ・ドゥアトさんにジュリエットの父を踊っていただきたかったですが、ご自分ではどの役を踊りたいですか?
「年齢的にはジュリエットの祖父かな。皆さんもご存知のように、私はダンサーでした。ダンサーが踊らないというのは、非常に辛いことです。ただ、カンパニーが踊る姿を観ることで、その空虚感は満たされます。ですから、観ている間はすべてのキャラクターになっています」

しっかし、相変わらずドゥアトは男前よのぉ。

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