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2008年12月 6日 (土)

東宝ミュージカル『エリザベート』

2008年11月3日(月)〜12月25日(木) 帝国劇場
http://www.tohostage.com/

[脚本・歌詞]ミヒャエル・クンツェ [音楽]シルヴェスター・リーヴァイ
[オリジナル・プロダクション]ウィーン劇場協会
[演出・訳詞]小池修一郎 [音楽監督]甲斐正人 [美術]堀尾幸男
[照明]勝柴次朗 [衣裳]朝月真次郎 [振付]島崎徹、麻咲梨乃

エリザベート(オーストリア皇后):涼風真世
トート(黄泉の帝王):武田真治
フランツ・ヨーゼフ(オーストリア皇帝):石川禅
ルイジ・ルキーニ(エリザベート暗殺者):高嶋政宏
マックス(バイエルン公爵/エリザベートの父):村井国夫
ゾフィー(オーストリア皇太后/フランツ・ヨーゼフの母):寿ひずる
ルドルフ(オーストリア皇太子):伊礼彼方
ルドヴィカ(バイエルン公爵夫人/エリザベートの母):春風ひとみ
マダム・ヴォルフ:伊東弘美
グリュンネ伯爵(皇帝の側近):治田敦
シュヴァルツェンベルク侯爵(皇帝の側近):阿部裕
エルマー(ハンガリー貴族/革命家):中山昇
リヒテンシュタイン伯爵夫人(女官長):小笠原みち子
ヴィンデッシュ(精神病患者)、家庭教師:河合篤子
少年ルドルフ:石川新太

一昨年の武田真治出演をきっかけに観始めた『エリザベート』。昨年のウィーン版も大阪に遠征して観たし、こうなったら新たにふたりのエリザベートを迎えた今回もチェック!
まずは、涼風真世の出演日から。

何故孤独が
石のように 機械のように
強くあってはならぬのか

何故孤独が
都会のように 人間のように
誇らかであってはならぬのか

観ている間ずっと、安部公房『無名詩集』の一節が頭の中で渦巻いていた。自らの孤独と対峙し、そこから抜け出し、現実の世界へ目を向けていたら……。でも、それができないのがエリザベートなんだよね。

「私が命ゆだねるそれは 私だけに」
「踊る時は 全てこの私が 選ぶ」

涼風のエリザベートは、自己実現を求め続け、そのために強くなり、だからこそ孤独でもあり、心の奥底に《トート》というファンタジーを育んでしまった……そんな感じ。
しかも、その強さや孤独をきちんと歌で表現している。彼女の歌声は客席に向かって真っ直ぐに放たれた矢のようで、説得力が半端じゃない。もしかしたら、今まで観た中で一番共感できるエリザベートだったかも(と言っても、それほど観ていないけど)。

特に印象に残ったのが、精神病院のシーンと、息子を喪いトートにその身を委ねるシーン。自分をエリザベートだと思い込んでいる患者のヴィンデッシュに「私が本当にあなたならよかった……」と語りかける姿からは、強さ故に狂うことすらできない彼女の孤独が痛いほど感じられたし、自分に身を委ねるエリザベートをトートが拒絶するのも、トートをエリザベートの内面の発露と考えれば、すんなり納得できる。あれだけ強靭な精神を有していれば、自ら死を選ぶことはできなくて当然だもの。

ってことで、思いの外、エリザベートに共感してしまったものだから、本来の目的だったトートの武田真治についてはあまり覚えておりません(をいをい)。
いや、ま、キレイでしたよ。胸元露出が基本で、少女マンガから抜け出てきたような艶やかさ。
歌のピッチはずいぶん安定したかな。前回は吐息を“含んだ”歌声だったのに、今回はほとんど吐息ばかり。聴こえねーよ。
厚底ブーツでの階段昇降は滑らかになっていたけど、身体の使い方やダンス(でいいのか?)のムーヴメントはまだまだチグハグで、観ているこちらが恥ずかしくなる。

う〜む、前回の狂躁が嘘のよう(笑)。再演ということで、期待し過ぎたのかしらん? 結局、途中からトート云々ではなく、“キレイな武田真治を観る”モードに切り替えてしまった。トホホ。

フランツ・ヨーゼフの石川禅、ゾフィーの寿ひずるが手堅く、ルキーニの高嶋政宏は鬱陶しい。
新加入、ルドルフの伊礼彼方が清々しく、ヴィンデッシュの河合篤子はやっぱ巧い。

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