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2011年8月 7日 (日)

劇作家協会公開講座 2011年夏 大震災と演劇

2011年8月7日(日) 座・高円寺2
http://www.jpwa.org/main/

野田秀樹×別役実

司会:山口宏子(朝日新聞記者)

ひとりでふらりとやって来て、ひとりでふらりと帰って行く別役実氏。よく考えたら、ちゃんと話を聞くのは初めてのような。2部のリレートークも参加したかったけど、諸事情により1部のみ。
例によって、記録ではなく記憶です。しかも、かなり端折ったりしております。あしからず。

──まず、3.11は何をされていましたか?
野田「あの日は多摩美術大学の入試の日で、夜は本番(NODA・MAP『南へ』)があった。責任ある立場の人間は狼狽えられないな、と。何とか試験を終え、用意してあった車で劇場に向かったけど、それからが大変だった。開演20分くらい前に劇場に到着した時には、すでに公演中止が決まっていた」
別役「家に帰る途中で書店に寄り、買った本をちょっと確認しようと喫茶店へ入ろうとしたら、階段が揺れていた。結局、店には入らずそのまま歩いて帰宅。公衆電話に長蛇の列。家の中は本がすべて落ちていた。ちょうど戯曲を執筆中で(文学座6月アトリエの会『にもかかわらずドン・キホーテ』)、執筆者の出来事として『今、地震がありました』と書きたくなった」

──その芝居の最後でドン・キホーテは風車の回転を止めようと突っ込んで行くわけですが、こちらは否が応でも福島原発を思い浮かべてしまいます。
別役「あの結末は最初から決まっていたので、原発は念頭になかった。ただ、潜在意識にはあったかも知れない」
野田「あれ以降、観る側は何を観ても関連付けてしまう。ロンドンで勅使河原(三郎)さんの公演を観た時も、観客は何らかの結び付きを見つけようとしていた。でも、あれは再演だから、実は関係ない。『南へ』も再開後の見え方がまったく違ってしまった」

──今日の「大震災と演劇」というテーマですが、内容の問題と劇場の問題、ふたつの位相があると思います。劇場の問題、劇場を開くべきか否かについて、お考えをお聞かせ下さい。
野田「すでに楽屋で話しちゃったンだけど(笑)。震災だけならシンプルだった。その後に原発の問題が発生したため、複雑になった。当初、東京のパニックは、帰れない、連絡が取れない、といった不安や、TVで繰り返し流される現地の映像によって、一緒に東北にいる気分になったことで生じた。そのうち、公演は中止しましょう、という流れになり、某演劇人から『こんな時に芝居をやるなんて人非人』みたいなコメントまで出された」

──あれは『命が大事。命を守るためには止めるべき』という趣旨かと……。
野田「再開後の客席は7割程度の入り。節電でロビーも暗い。他に言葉が見つからないンだけど、戦時下の芝居のよう。妙な緊張感がある。何故、芝居をやるのか? の答えを出さないといけないし、内容も内容だし。この選択は本当に正しかったのか? という問い掛けは常にあった」

──公演中止の理由としては、交通や電力の問題による安全面を考慮して、というものがありましたが、自粛もありました。野田さんは上演再開の際にコメントをお出しになりましたよね?
野田「上演再開にあたってのコメント『劇場の灯を消してはいけない』は、外へ向けてというよりは、お客さんへ向けたものだった。この問題を複雑にさせているのは原発の存在。自分のコメントはそれ(原発事故による電力不足と計画停電)に対する答えではなかった。劇場は電力を消費するけど、劇場に来るのと、そのお客さんが個々に過ごすのと、どちらがより多くの電力を消費するのか、客観的な判断を示して欲しかった」
別役「どこかにいちゃもんをつける、敵探しをする、そういうことは必ず起こる。演劇や文化は非常に立場が弱いから、その対象になりやすい。1995年の阪神・淡路大震災の時は、ちょうど兵庫県立ピッコロ劇団の公演(第2回公演『風の中の街』)直前で、舞台稽古をやるか否かが問題になった。結局、舞台稽古はやったけど、公演は中止になった」

──別役さんご自身はどんなお気持ちでしたか?
別役「無力感。公演は中止になったので、被災地を歩いてみた。劇団は学校などを回って子供たちを励ましていたけど、演劇活動とはちょっと違うように思う」

──今回のことをきっかけに、若い演劇人が、何故、演劇をやりたいのかを言語化するようになり、演劇への向き合い方に自覚的になった、と発言しています。
野田「考えようとしたことは確かだけど。ただ、おふざけはやり難かったし、今でもやり難い。真面目になるのが本当にいいのだろうか? という思いもある」
別役「話がずれるかも知れないけど……エストニアではエストニア語とフィンランド語とロシア語を話す。ただ、演劇はエストニア語を使う。だから、民族的な共感を得られる。肉声で語られる悲劇。日本にも方言による芝居、つまりは、より内密なコミュニケーション、が成立していれば、拠り所として演劇と劇場が機能したかも知れない」
野田「芝居が劇場の壁で終わってない。外の世界と劇場の空気が繋がっている。公演再開後、10日間くらいはそんな感覚を維持していた。それが本来の姿だと思う。70年代頃まではそんな感じだったのでは? ただ、それはひとつの小屋で出来ることではない」

──70年代以降は、劇場の内と外とが繋がらなくても、表現方法として成立するようになったのでしょうか?
別役「阪神・淡路大震災の時、被災地をぶらつくと、被災者と反被災者の対立があった。被災者は『助けて下さい』となり、反被災者は『助けてあげましょう』となる。嘆き悲しむ時間が短いのがいけない。かつては、長い時間、嘆き悲しんでいた。その間に、お互いが感情を共有できた。今は、そういう時間が短いため、対立が生じる。マスコミも公用語で語ってしまう。肉声がなくなり、嘆き悲しむ時間を摘み取ってしまう。劇場も同じ」
野田「共感します。被災者に語らせる、被災者に語らせなければいけない、という風潮。被災者もまた語り口を学習し、彼らの言葉すら公用語になってしまっている。本当の声がない、その薄気味悪さ。すぐ『がんばれ日本!』と言い出す。そういう物語を始める。被災者のために何をするのか? だけの姿勢になってしまうのが、本当にいいことなのか?」

──公用語は広めていく言葉で、肉声は内省していく言葉です。肉声を表現していくのが、芸術の力でしょうか?
別役「中国や韓国には“泣き女”という、集団から出た悲しみを集団が理解できるやり方で表現する存在がある。彼らは集団の内側に入る。果たして、芸術は内側に入っているか? 肉体的な悲しみを共有しているか? 近現代はそういうことよりも、表現する内容や技術ばかりを問題にしてきたような気がする」

──『ザ・キャラクター』はオウム事件から15年経って出来た芝居ですが、今回のことも、何年か経ってより深い表現になる可能性はありますか?
野田「表現する人間は、自分が引っ掛かっている問題を取り上げればいい。いつやるかは関係ない。今回のことは、まだ人々の心の中で動いている。動いているものに対しては、忘れることもあるし、いずれ表現することもある。『がんばれ日本!』では生きていけない人たちへ渡す言葉を持つのが演劇。性急にすることではない」

──瞬発力と持続力、その両方がありますか?
野田「どちらもある」

──今回のことは、自然災害と電力、その両面に対する不安が目の前に突き付けられたと思うのですが……?
別役「様子は確かに変わった。天変地異には慣れているとは言え、今回のことはかなり大きかった。原発によって近代を簡単に終焉させられなくなった。常々、私は“中景の喪失”ということを言ってきた。近景(皮膚感覚でお互いに感じ取れる距離)や遠景(神秘的なものや占いを信じるような態度)はあるのに、中景(家族や地域社会といった共同体的な対人距離)がない。中景を喪失しているアンバランスさ。ここにきて中景がクローズアップされてきた」
野田「自分の言葉にすれば、感じる(近景)、考える(中景)、信じる(遠景)かな。今は、考えることに弱くなっている。学生運動の頃は考えた。考えるふりをした。でも、それが行き詰まり、嫌悪感となり、大きな傷となった。自分の世代の責任として、『考えなきゃいけない』と発言していく」

──最近は“感じる”戯曲が多いように思いますが……。
野田「考えるためには素材が必要。何を信じたらいいのか難しい。拠り所がない。今は、人類にとって初めての体験。それを判断し整理することは困難。根拠がない。また、大衆が考えていることが正しい、という前提も危ない。結局は耳触りのいい言葉ばかり。それを選んだのは大衆の筈だったのに、いつの間にか言葉がすり替わっている。インターネットの普及も一因。匿名性。自分の言葉に責任を持たない。言葉が危うい。30〜40年ほど前の書物の言葉と、まったく違ってきている」
別役「かつてはリアリズム演劇であり、“考える”演劇だった。今は“感じる”演劇」

──“感じる”演劇の射程距離も短くなっているように思います。日常の構造が壊れ、骨組みが見えてきた今、今後の演劇にも変化が生じるのではないでしょうか?
野田「最近は、室内で繰り広げられる、ある年代だけに通じる“現代口語”で書かれた芝居が多い。戯曲の質を狭いものにしている」
別役「物事には、局部対応することで力を発揮する傾向がある。全体のドラマツルギーを考える必要はあるものの、年齢、地域、etc.で局部対応する方向性は否定しない」
野田「演劇の一般論として、それしかないことが欲求不満になっている。ところで、別役さんは、何故、岸田國士戯曲賞の選考委員を辞めたンですか?」
別役「『新劇』が廃刊になるのを受けて、母体となる雑誌がないのは如何なものかと思い(選考対象は活字化された作品なので)、『せりふの時代』に移ったら? と言ったら、白水社が猛反対して。その後すぐ辞めるのもなんだから、2〜3年後に辞めた」
野田「つか(こうへい)さんも『新劇』がなくなったことで辞めましたね。自分としては、捨て置かれた感じ。選考の際には別役さんを頼りにしていたので。ちなみに、ここ(座・高円寺)の芸術監督の佐藤信さんは『若い人の作品はわからなくなった』と言って辞めました。局部対応についていかれなくなった、と」

──野田さんは、先頃、ヨーロッパを回られたそうですが、外から見た日本はどうですか?
野田「全世界的に、日本が大変、ということは浸透している。とりあえず、日本人に対するイメージはいい。ただ、間違った報道を信じていたりもする。過度の同情。時には、その国の政治家に利用されたりもする。意外に日本人は好かれていて、至る所で義援金の募集を見かける。それで思い出すのは、昨年のインドネシアの津波。世界の物語の中では、インドネシアは必要とされてないンだな、と」

──別役さんは不条理劇を書いてますが、不条理な光景を目の当たりにする今の状況をどう思いますか?
別役「不条理劇はどこか自嘲的でもある。今の状況下で見せるのは不適切だけど、共感はされやすいかも」

──確かに、不条理劇が肉体と結び付いた気がします。
別役「天変地異はなおざりにされ、原発に注目が集まる現状も不条理。不条理劇を書く作家も困惑しているのでは?」

──他人事のようにおっしゃってますが(笑)、別役さんご自身は? 次の作品への影響はありますか?
別役「執筆中のものは関係ない。時代をおかないと固定しない。動いているものは書き難い。ある意味、考古学者のよう。今回のことを書く前に死んでしまうかも」

──野田さんはどうですか?
野田「殴られて脳が振動している状況で、判断がつかない。その状況を書くのもひとつのやり方ではあるけど、その時期はすでに逸した。今、興味を持っているのは“大衆の匿名性”」

──先日、劇団四季の東北特別招待公演を取材してきたンですけど、人が目の前でやっていることに、子供たちは驚くンです。
別役「芝居という営みそのものが露になる。日常性を剥ぎ取られた状況は、演劇にとって効率的。内容はどうでもいい。メッセージそのものは通用しない」
野田「演劇とは、人間の身体が人間の前で演じるもの。だから滅びない。歌舞伎や大相撲を初めてLIVEで観て感動するのと同じ。それが今はパフォーマンスとか言って、スクリーンやマイクを使用するようになっている。新しい技術との共存。例えば、ヘッドセットが格好いいと思われたりするわけで。格好いいと思われるものは、定着し主流になる。でも、スピーカーから出る声と肉声は違う。頑固にはなりたくないけど、何かを失うのではないかとも思う」

──震災後にシアターコクーンで蜷川(幸雄)さん演出の『たいこどんどん』を観たンですけど、幕開けにAmazing Graceが流れ、書き割りの前で役者たちがおじぎをする。それだけで感動してしまいました。あとで蜷川さんにその話をしたら、『人がいる、それだけで鎮魂。芸能は鎮魂なんだよ』とおっしゃってました。
野田「劇場に人を求めてくる。一緒に観る人。でも、まったく知らない人。再開後の劇場は空席すら意味があった。存在感があった。それが演劇の源。“いる”ことが大事だから、“いない”ことも大事」

──最後に、別役さんに締めていただけますか?
別役「芝居は“表現”とは違う。舞台にいる人(役者)は神に捧げる供物で、それを客席から観ているわけだけど、客席に見せるものではない。今までやってきたことをこれからも粛々とやるだけ。現実に踊らされてはいけない」
野田「拝聴しました」

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