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2012年3月 4日 (日)

芸劇+トーク 異世代劇作家リーディング『自作自演』第3回

2012年3月4日(日) 水天宮ピット 大スタジオ
http://www.geigeki.jp/

【リーディング】※上演順

野田秀樹 『人類への胃散』より「ハルコとレンジ」
別役実 『道具づくし』より「おいとけさま」「したすさび」「したまゆ」「かわやだんご」 ほか

【トーク】

別役実×野田秀樹
トーク聞き手:扇田昭彦

20代の頃に書いた短篇小説を、独特の疾走感でもって語っていく野田秀樹。声の調子があまりよくなかったような。『THE BEE −English Version−』の公演中だから?

前日に腰を痛めたうえ、最近は歯茎が痩せて入れ歯が合わず、空気が漏れて聞こえ難いかも……と、話し始める別役実。今回取り上げた作品は“づくし” シリーズ(『虫づくし』『けものづくし』『鳥づくし』『魚づくし』などなど)の1冊で、現実には存在しない道具について出鱈目を綴ったエッセイ集。
嘘を書くにはポーカーフェイスが大事、とか、嘘を書くことはコントを書くことに通じる、とか、オムレツを巧く焼ける時とそうでない時があるように、嘘も巧く書ける時とそうでない時がある、とか、嘘が巧く書けている時は浮遊感があって筆が進む、とか、いや、もう、面白過ぎだよ、別役先生。

ってことで、10分の休憩を挟んでトーク。例によって、記録ではなく記憶です。

──今日の別役さんのお話はいかがでしたか?
野田「嘘が悪ふざけになってはいけないというのは、俺の話? と思って聞いてた(笑)。これから新作を書く予定なんだけど、この世に存在しないスポーツを書くので、別役さんの話は凄くよくわかる」

──先程の「ハルコとレンジ」もそうでしたが、ギリシャ神話に関心を持ってますよね?
野田「若い頃から、作品を書く前にギリシャ神話をよく読んでた。ネタが尽きない。テキトー感があるけど、あの短篇集は、その後、2作ほど戯曲になった」
別役「語り口がリズムになり、それがテーマに繋がっていく……というあたりは、自分に似てるかな」

──『THE BEE』はいかがでしたか?
別役「テーマが普通とは違う方向へ進んでいく、レコードの芯がずれていくような視点のずれ、その面白さ。ただ、後半はもう少しブラックな笑いがあってもよかった」
野田「香港では笑いがあった。ここの場合、狭さ故のテンションの高さが原因かも。初演の方が喜劇性は高かった。あと、前評判も影響していると思う」
別役「どうして可笑しいのかわからないけど可笑しい、というところを目指している志の高い芝居」

──海外では途中で出ていった観客もいたとか?
野田「暴力賛美と誤解されたり、女性蔑視と思われたり。血が嫌いな人もダメ。そういう人は、ある意味、想像力が物凄い、ってこと。実際に血を流すシーンはないンだから」

──男女を入れ替えることで、異化されますよね?
野田「異化されると同時に、やりきれてる感じもある。演じるにおいて、キャサリン・ハンター(『THE BEE』出演者)は毎日テーマを変える役者で、“暴力”をテーマにした時はとことん責めてくる。日本にはいないタイプ」

──不条理性、社会性、テーマ性と笑いについてお伺いします。野田さんが社会性とかテーマ性を強く打ち出すようになったのは……
野田「1989年の『贋作・桜の森の満開の下』あたりが転換期かな。元号が”平成”になって、劇場の外が変わった」

──別役さんの喜劇性が強くなったのは?
別役「不条理=喜劇で、笑いによる批評が一番高度であると気づいたのは、ごく最近。ただ、そういう衝動はその前からあった。『象』(1962年初演)におけるおにぎりの食べ方談義のシーンは、僕の演劇性の原点」

──かつて、鈴木忠志さんは『別役さんはユニーク。作品にイデオロギーがまったく反映されていない』と言ってました。
別役「社会的事象が考古学的になるまで待つ。冷めるのを待って形にする。臆病なのかな?」
野田「震災の話もそうだけど、殴られたような状態と同じなので、冷静にならないとちゃんと見えない。人は2種類あると思う。すぐに行動を起こす人と、そうでない人。両方あっていい」

──劇作家協会での対談(劇作家協会公開講座 2011年夏 大震災と演劇)で、野田さんは若い劇作家に対して不満というか異議申し立てをしてましたよね? それに対して、別役さんは局部対応もあっていい、と。
別役「グローバリズムに偏ってしまうと、演劇的でなくなる。地方の独自性も大事。それが普遍化していくのがベストだと、今、特に感じている」
野田「局部対応がどこを指しているのかハッキリしないけど……若い劇作家の作品を読んでると、またそこか、ということが多い。書き方が決まってきてる。同じ局部対応でいいのか? 別役さんは若い人の戯曲は読めます?」
別役「最近は読み切れない。流れないし、繋がらない」

──おふたりは戯曲を書く時、どういう風に書き始めるのですか? テーマですか? それとも、役者ですか?
別役「僕の場合は書く劇団が決まっているから、まず役者を意識する。その枠内で考える。興味を持っているのは、対人関係の変化。家庭が崩壊し、新たな対人関係を築いていく必要が生じている」
野田「自分の関心は、昔からそんなに変わってない。人が熱狂するものに興味がある。ナショナリズムとか。ただ、自分の書くものと直接は結び付かない。最近は当て書きが多いかな」

──別役さんは演出家に注文を出したりしますか?
別役「若い頃はしたけど、今はお馴染みの人ばかりで、注文を出すことはない。予想を裏切られても、それはそれで楽しい。だから、敢えて幅のある書き方をするようになった。それは60歳を過ぎてからわかったこと」
野田「若い頃のダメ出しとは?」
別役「とにかく、すべてダメ。読み合わせから違和感。それは、自分のものが他人のものになっていく違和感だと思う」
野田「一番厄介(笑)。俺も、違うのはわかるけど、何が違うのかわからないことはある。凄く困る」
別役「野田君は他人に演出されたことは?」
野田「……ない。でも、今やってる芝居は、演出される瞬間はある」

──以前、別役さんは『演劇はじわじわ効く。演劇は漢方薬』と話していたのですが、今はどうですか?
別役「演劇に即効性はない。震災に対しても、無力感を覚えた方が誠実だと思う。長い射程で考える必要がある」
野田「先日、キャサリンと話していて、『この芝居は“質問”なんだ』ということになった。俺は、“演劇=質問”だと思っている。『じわじわ効く』のは、観てる人が、後々、考えるから」

──ピーター・ブルックの『いい演劇は何も解決しない。問いを深めるだけ』という言葉に通じますね。

ここからは質問タイム。

──『海外から招聘した芝居をなかなか観に来てくれない』というようなことを、野田さんが何かに書かれていましたが、そのあたりの状況を詳しく聞かせて下さい。
野田「海外から良質な芝居がきても、広まっていかない。そもそも日本は地理的に遠いわけで。来てくれた芝居に関しては、こちらもきちんと発信していかないといけない」

──演劇は言葉だけではないということは理解していますが、言葉の壁をどう乗り越えていけばいいのでしょうか?
野田「字幕は出している。今度、ハンガリーやルーマニアの芝居を招聘する予定だけど、英語以上にハードルが高い。客が入らなければそこで終わってしまうので、とりあえず、間口を広げて下さい」

──いい芝居は言葉を越えて伝わりますか?
野田「そう思っている」

ハンガリーやルーマニアの芝居が気になる〜。そしてもちろん、新作も。

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