« 本日初日 | トップページ | チケットget! »

2012年6月 9日 (土)

新国立劇場 マンスリー・プロジェクト 6月

2012年6月9日(土) 新国立劇場 中劇場
http://www.nntt.jac.go.jp/

演劇講座 『サロメ』でワイルドは何を描きたかったのか?
講師:平野啓一郎(作家)

演劇公演をより楽しむための【マンスリー・プロジェクト】。毒を食らわば皿までも(違うか)、ってことで、試しに参加してみました。光文社古典新訳文庫の訳者あとがきや解説と重複した内容だったけど、これはこれで面白かったです。

『サロメ』の上演時間は約1時間40分。その短さ故、なかなか上演しづらい。でも、その短さが現代には合っているように思う。

ワイルドは、三島由紀夫や谷崎潤一郎といった自分の好きな耽美的な作家が影響を受けた作家なので、自分も好きに違いないと思っていて、読んだらやっぱり好きになった。

大学生だった1995年頃、ギュスターヴ・モロー展に合わせて日夏耿之介訳の『サロメ』が文庫化された。1990年代末は、所謂、世紀末で、幻想文学や世紀末文学が流行っていたし、阪神大震災や酒鬼薔薇事件もあり、時代と『サロメ』の結び付きを感じていた。

三島による『オスカア・ワイルド論』は、天才が天才を論じているようなもの。三島が最初に買ったワイルドの本が『サロメ』、最後に演出した芝居も『サロメ』。『サロメ』には斬首シーンがあり、三島の最期にも通じていたり。

以前、ベルリンで開催された三島の没後40周年記念シンポジウムに参加した際、海外では三島の写真(セバスチャンの殉教図とそっくりのポーズをとり、篠山紀信に撮影させた)から作品に興味を持ったというファンが多いことを知った。ロシアではゲイ・アイコンでもあるらしい。

そろそろ本題に入ります。これから語ることは井村君江『サロメ図像学』を参考にしています。

『サロメ』に書かれている出来事が実話かどうかは不明。ルキウス・フラミニウスの事件(娼婦に唆されて罪人の首を斬ったスキャンダル)とヘロデがヨカナーンを殺した事実が混在したのではないか?

ヘロデがヨカナーンを捕らえた理由は、兄嫁であったヘロディアを妻にしたことを非難されたから。厳密には近親相姦ではないが、ヘロディアはヘロデの姪だったので、親族同士の結婚ではあった。日本で初めて『サロメ』を翻訳した森鴎外は「穢れた交わり」と訳している。

何故、ヘロデはヨカナーンを殺すことを嫌がったのか?
マタイ伝では群衆の怒りを恐れたから、マルコ伝では聖なる人間だから。ワイルドは後者の解釈を取っている。

塩野七生『サロメの乳母の話』では、ヨカナーンのような清廉潔白な人間が世直しをしようとしても碌なことにならないと考えたサロメが、踊りの褒美としてヨカナーンの首を求め、結果としてヘロデにヨカナーンを処刑させた、となっている。アンチクライストというか、キリスト教の一神教批判というか、如何にも『ローマ人の物語』の著者らしく面白い(ローマは多神教)。

ヨカナーンは先鋭的で天才的。それ故、大きなムーヴメントにはならなかった。イエスは先駆者であるヨカナーンほど先鋭でも天才でもなかったので、却って世に広く知れ渡ることとなった。喩えて言えば、チャーリー・パーカーとマイルス・デイヴィス、アイルトン・セナとミハエル・シューマッハ。

サロメは何歳だったのか?
ヘロディアの連れ子だとすれば18歳くらい、ヘロデの子だとすれば14歳くらい。どちらにしても少女であることに変わりはない。恐ろしいのはヘロディア。サロメは無垢な存在。

では、何故、サロメに恐ろしいイメージがついてしまったのか?
ヘロデ大王(=ヘロデの父)の妹(=ヘロディアの祖母)の名前がサロメ。この人がとても恐ろしい女性だったので、彼女のイメージと少女サロメのイメージが混在したのかも。

エリファス・レヴィが19世紀の魔術の歴史をまとめた著書(『魔術の歴史』?)によると、ヘロデとサロメの幻を見たという秘密結社が存在したらしい。ヨカナーンの斬首とフランス革命のギロチンとの結び付き。ワイルドが『サロメ』をフランス語で書いたことも、フランス革命のギロチンからの連想もあったのではないか? ま、本人は「珍しい楽器を演奏してみたかった」などと説明しているが……。

ハインリヒ・ハイネの詩に「ヘロディアはヨカナーンに恋をしている」という記述がある。ワイルドはそれを、もう一歩、踏み込んだ。「サロメは純真な子供、恐ろしいのは母のヘロディア」という役割分担を統合した。純真な者の中にも恐ろしいものが内在している。人間の多様性、二重性、それこそがワイルドの狙い。

台詞を丹念に読めば、10代の若い女の子という捉え方が正しいとわかる。ただ、本人の意思とは関係なく、妖艶な存在でもある。

サロメとヨカナーンは共に現世を否定している。価値観の共有。それなのに、何故、ヨカナーンはサロメを非難するのか?
それは即ち、原罪の問題。キリスト教徒なら共感できる筈。サロメはただ過激なだけ。

サロメの口を描写することによって、サロメの変化を描いている。

原作は簡素な文体だが、比喩が多用されている。しかも、横滑りするイメージの連鎖のような比喩。それはまるで、シュルレアリスムのよう。ルイス・ブニュエル監督『アンダルシアの犬』に似ている。

ここで歴代の翻訳の聴き比べ。

・フランス語

・英語:古語が少し混じる。

・森鴎外訳:ドイツ語を経た重訳。「もぐら」を「もぐらもち」と訳している。

・日夏耿之介訳:三島が愛した訳。このような翻訳でいいのか? ほとんど日夏の作品。

・西村孝次訳:サロメ像は自分と近いと思う。

・福田恆存訳:評価は高いが、自分はあまりいいとは思わない。ぎこちない。サロメ像が掴めていない。「もぐらもち」は「もぐら」に直されている。これは福田の功績。それまでの翻訳家は大文学者だった鴎外の訳に準じていた。

・平野啓一郎訳:自分で訳した文章を読んでいるので、巧く読めて当たり前だと思うでしょうが……(笑)

この舞台を観るのは今日で2回目。美術が斬新。また、ナラポートの自死がナイフから銃に変更されたのも効果的。自分の書いたものを大勢の方が観てくれるのは嬉しい。演出家に対する憧れと恐ろしさを感じる。

残り10分ほどは質問タイム。

──エドガー・アラン・ポーの影響は?
「19世紀は残酷な主題が多かったので、そういう意味では影響を受けていたと思う」

──多部ちゃんファンなので『サロメ』を観ました。サロメとヨカナーンは共に世界が滅んでもいいと思っていて、ある意味、ふたりの恋は成就したようにも思うのですが……。
「亜門さんは『金閣寺』との連続性に言及していて、主人公の純粋性に特化している。今おっしゃったようなことに、宮本サロメは力点を置いていると思う」

──ヘロディアも殺されるのでしょうか?
「それはない。ワイルドは続編を考えていて、そのあたりは文庫本の解説に詳しい。ぜひお帰りにお買い求め下さい(笑)」

【関連記事】
6月のマンスリー・プロジェクト 演劇講座「『サロメ』でワイルドは何を描きたかったのか?」が開催されました|ニュース|新国立劇場

|

« 本日初日 | トップページ | チケットget! »

2012年鑑賞記録」カテゴリの記事